「夫婦ふたりで人生を歩む覚悟を持とう」と、
新居に引っ越した私たち。
不本意で不妊治療を中断したことからギクシャクしていた夫婦仲も、
環境の変化で次第に修復していきました。
だからといって不妊コンプレックスがなくなったわけではありませんが、
もうこれ以上お互い傷つきたくなかったので、
不妊治療の再開は一切考えていませんでした。
しかし、平穏な暮らしを送っていたある日、
「もう一度だけ、頑張ってもらえないか?」という夫からの言葉で心にまた変化が。
ふたりでよく話し合い、最終手段を「人工授精」と決めて
高度な不妊治療に進むことになったのでした。
前回の記事はこちら
29歳から34歳まで抱えた不妊コンプレックスの話(その1)
29歳から34歳まで抱えた不妊コンプレックスの話(その2)
29歳から34歳まで抱えた不妊コンプレックスの話(その3)
目次
人工授精の決断
今まではあえて家から遠くにある女医さんのクリニックに通っていましたが、
「人工授精」を試みるとなると、
通いやすい位置にある病院でないと難しいので、
久しぶりにクリニックを訪れ、転院のための紹介状を書いてもらいました。
信頼できる地元の病院へ
長年通ってパタリと行かなくなったので、先生も覚えてくれていたようで、
「ご主人がステップアップを望んでくれて良かったですね」と笑顔で言ってくれました。
高度な不妊治療を行っている病院は地元には数件しかなく、
専門雑誌にもたびたび取り上げられていて実績もあるところを選びました。
病院選びの決め手は診察体制
もうひとつ、大きな決め手になったのは「診察体制」で、
検診に来ている妊婦と、不妊治療や子宮の疾患で来ている患者では
診察の曜日や時間が分かれているのが魅力的でした。
というのも、今までのクリニックで待合室にいるのは、
大抵ふっくらお腹の妊婦さんたちで…。
不妊コンプレックスを抱えている私には同じ空間にいることがかなりしんどかった記憶があります。
新しい病院で紹介状を見せると、
「もうこれだけの治療をして月日も経っていたら、すぐに人工授精で良さそうですね」と先生。
私も「はい、それしか考えていません」と答えました。
「人工授精」ってどんなもの?

人工授精は、あらかじめ取っておいた精子を、
排卵日に合わせて子宮内に医師が直接注入する方法です。
そこからの流れは自然妊娠と全く同じ。
精子と卵子がきちんと出会って受精できるか、
そしてきちんと着床して妊娠までたどりつくかどうかは誰も予測できません。
私たち夫婦の場合は、夫が不妊治療のステップアップに抵抗があったので、
ひたすらタイミング法で頑張るしかなかったのですが、
それ以上の不妊治療を初めから視野に入れている夫婦なら、
もっと早めに切り替えるのが普通です。
人工授精による妊娠確率は1割ほど
妊娠率は年齢で大きく変わってきますが、
人工授精で妊娠できる確率は1回あたり1割行くか行かないか。
人工授精でも授からなければ体外受精へ
人工授精をだいたい4~6回続けても妊娠まで至らなかった場足は、
この先続けても確率は下がる一方なので最終手段の体外受精へのステップアップを勧められます。
しかし、その金額は1回2万円ほどの人工授精には比べられないほど高額!
1回50万円ほどで様々な助成金を受けても半額の25万くらいは持ち出しになります。
なので、なかなか「そろそろ次に」とは行かないのが現実です。
不妊治療を再開する時、私たちが話し合って決めたのは『人工授精まで』。
それは、もちろん金銭面のこともありますが、
「人工授精は6回までがチャンス」と聞いていたので、
治療に区切りが付けやすいところが一番の魅力的でした。
(中には諦めきれず7回、8回と続けていたらデキた!という人もいるそう)
第一回目の人工授精がスタート
いよいよ、人工授精の当日。
この日までに卵胞の成長や排卵のタイミングを診察してもらうために
何度も病院に通い、夫の精子を迎え入れる態勢はバッチリ!
「この中の小さい容器に精子を出してね~」と病院からもらった茶色の紙袋を夫に渡すと、
夫はそのままお家の階段を上がり、自分の書斎へ。
私はというと、
「大丈夫かな~。プレッシャーで上手くいかなかったどうしよう…」と
リビングでそわそわしていました。
しばらくすると、階段を降りる音が!
「朝いちの会社行く前に一人で出すっていうのも、なかなかない経験だね~」と意外とご機嫌。
そのまま一緒に家を出て、夫は会社に、私は病院へ向かいました。
病院で紙袋を渡すと、
「今から洗浄して、動きがいいのだけを集めて濃縮させるから1時間後にまた来てください」とのこと。
近くで暇を潰して再び病院へ行くと、初めて入る専用の処置室に通されました。
痛みは無く、横になっているだけで終了
下半身の服を脱いで台に乗ると、すぐに先生が。
細いカテーテルを膣に入れ、夫の精子を直接子宮内に送り込む処置を施してくれました。
痛みは全くなく、そのまま15分くらい横になったまま過ごしたら終了。
立ち上がった時、ドロッと出てきた感触があったので看護師さんに伝えると、
「この間に子宮内に留まっている精子がありますから、それは大丈夫です」と言われたのでホッとしました。
人工授精の結果は…
気になる人工授精の結果ですが、
- 一回目…生理が来て失敗
- 二回目…生理が来て失敗
- 三回目…卵胞の成熟が良くなかったのでお休み
- 四回目…生まれて初めての『陽性』!
長い不妊生活の期間、何本の妊娠検査薬を購入したことか…。
今考えるとやっぱり不妊コンプレックスの塊だったようで、
実際はいちいち覚えられていないのに、店員さんに「この人またか」と思われるのが嫌で、近所の薬局(3軒)をハシゴして買っていました。
記念すべき最後の妊娠検査薬は、今でも大事に取っています。
(尿をかけているので衛生面ではアウトですが…どうしても捨てられない!)
翌日、病院に行って血液検査をしてもらうと、
「おめでとうございます!妊娠していますよ」と先生。
うれしさが込み上げてきて、
その後待合室で会計を待っている間もずっと泣いていました。
本当に不妊コンプレックスが解消されたのは、産後に手渡された1枚のDVD

その後、大きなトラブルもなく、そのまま出産へ。
退院後はそのまま実家でゆっくりさせてもらい、
半月後に夫の待つ我が家へ帰りました。
部屋は本当にキレイに片付いていて、
私がすぐに横になれるよう布団まで用意されていたことにも感激でした。
そして、翌日の朝、出勤前に「これ、ひとりの時に見て」と手渡されたDVD。
あまりに陣痛が長くて私が苦しんでいたので(26時間…ツラすぎた!)、持参したビデオを取り出すことができなかったと聞いていたので、出産時に撮ったものは何もないはず…?
テレビ画面に映っていたのは、夫でした。
一応彼の名誉のために言っておきますが、
ナルシストやサプライズ好きとは真逆のタイプなので、本当にビックリしました。
ここまでの不妊治療を振り返った後に、
妊娠が分かった時の喜び、出産時の不安、
生まれてきて初めて抱っこした時の言葉にならない気持ちを語る夫。
そして最後に、
「いろいろ辛い思いさせたね。ごめんね。頑張ってくれて本当にありがとう」と、
涙をこらえきれず、絞り出すように感謝の気持ちを伝えてくれたのです。
自分では、妊娠が分かった時点で不妊コンプレックスから解放されたつもりでいました。
でも、全然そうじゃなかった。
おしりの注射テープを剥ぎ忘れて、夫に部屋を出て行かれたあの夜。
「もう不妊治療はやめよう」と決めた日の大きな傷はずっと残ったままで、
無事に子どもが生まれても私は心のどこかで夫を許し切れていなかったのです。
夫からの謝罪と感謝の気持ちを初めて聞いたこの時、
深すぎた心の傷が確実に癒やされていく感覚を覚えました。
それが、本当の意味で不妊コンプレックスを克服した瞬間だったように思います。
大切なのは夫婦で向き合い、覚悟すること
もし今不妊で悩まれている人がいたら、
「夫婦でしっかり話し合って、早めに病院へ行って検査や治療を」と伝えたい。
そして、不妊コンプレックスにズルズル悩まらされる日々を送るより、
ふたりだけの人生を楽しむ覚悟を決めるか、
次の高度な不妊治療にステップアップするか、どこまで続けるのか区切りを決めるのが大切だと。
私のよう不妊コンプレックスに長年取り憑かれてしまう女性が
どうか、ひとりでも少なくなりますように。
最初から読ませていただきましたが、その3くらいから涙なしには読めませんでした…
私も流産をしたあと排卵がうまくいかずタイミングを試したので、どの内容も、『そうそう…』ってうなずかずにいられませんでした☆
出口が見えないもどかしさ、そのなかでも夫さんへの思いやりを忘れられなかったCharoさん、本当に素敵です。
夫さんのDVDも、宝物になりましたね…
とても励まされました。ありがとうございました(^.^)(-.-)(__)
bellyさん、コメントありがとうございました♡実は私も、泣きながら記事を書いた経験は今回が初めてで…。
赤ちゃんを授かることは本当に本当に奇跡で、夫婦がずっと同じ方向を向いて歩んでいくことや許し合うことの難しさを不妊を通してつくづく実感しました。
bellyさんもお辛い経験をされてきたのですね。私の体験が少しでもお役に立てられたなら、こんなに嬉しいことはありません。こちらこそ、最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました(╹◡╹)♡
久しぶりにあのDVDをまた一人で観てみようと思います。