嵐の夜、引き留めてもらえると信じて出て行くフリをした私。
でも、結局一言も声をかけてもらえないまま、家を出ることになりました。
今回はその続きと結末を綴っていきたいと思います。
※前号の記事はこちら…
不本意だけど……「私、実家に帰ります」状態に
雷と雨の激しさが和らぎ始めた頃、泣きすぎたせいで私はフラフラでした。
携帯を確認すると、仲良しの同僚から「旦那さんと少しは話できたかな……?」とメールが来ていました。
話を聞いてもらうだけの気力もなかったので、
「不本意だけど、今実家に帰ってる途中。
雨がひどくて停まっていたけど、今から車走らせるつもり。
また、気持ちが落ち着いたら報告するね」と返信しました。
少し冷静になってみると、今度は親の反応が心配になりました。
「娘は楽しい新婚生活を送っていると安心しきっている。このまま帰るとショックを与えてしまうかも」と思い、とりあえず車内から家に電話をすることにしました。
でも、何度かけても繋がらない。
ずっと、ずっと「プップップッ……」と話し中の音が聞こえるだけでした。
どこまでポジティブでバカなの?と思われるかも知れませんが、この期に及んで「あっ、彼だ!彼が母に電話してくれているんだ!」と期待している自分がいました。
雨の中急いで車を走らせながら、きっと
「こんな危ない日に帰らせてすみません。
少しだけ離れてほとぼりが覚めたら迎えにいくので……」みたいなことを母に言ってくれているんだ。
心配させないように、事情を話してくれているんだ。
そんな風に思っていたのです……。
結婚に至るまでの付き合いが長かったので、彼はしょっちゅう私の実家に泊まりに来ていました。
私が用事で出かけても、母と彼はふたりで買い物にいくくらい仲良しでした。
それに、彼は本当に優しい人でした。サラッと気の利くことができる人でした。
10年を振り返っても、そこだけは確信があったので、どうしても期待せずにはいられなかったのです。
着いたら、母が玄関に立って待っていました。
「やっぱり……彼が電話してくれたんだ」
そう確信した私は「なんて言ってた?謝ってた?心配してた?」と母に矢継ぎ早に聞いた記憶があります。
でも、違っていました……。
同僚が心配して、母に連絡してくれていたのです。
「もうホントに愛情がなくなったんだ」
私はまた泣き続けるしかできませんでした。
それから半年後。
「白黒はっきり付けたがる」女の性が抑えきれず……
彼からの連絡はその後も一切ありませんでした。
離婚したいのか、しばらくこのままでいいのか、あとどれくらいこの状態を続ける気なのか、全く分かりません。
さすがに半年ほど経った頃、終わりの見えない「蛇の生殺し状態」がどうしようもなく辛くなり。
私から連絡をしました。
「これからどうするつもりなの?」と聞くと、「特にこのままでも困らない」と彼。
「そっちに帰ってやり直したいんだけど…」と言うと、「前の状態(一切しゃべらない)でいいなら、ご自由に」
何を言っても向き合う姿勢がない彼の対応に私もさすがに腹が立ってきて、
「そんなこと言われたら、離婚しかなくなるじゃない!」と
気づけばオフィスの階段で泣きながら怒鳴っていました。
「それが良いならそうしよう」、彼は穏やかな口調でそう言って電話を切りました。
今考えると、それが手だったように思います。
「離婚してくれ!離婚してくれ!」と自ら迫ることはなく、じわじわとその道しかないことを相手に自覚させる。
さすが10年付き合っただけのことはあります。
私の性格も良く知って先を読んでの「放置」だったのでしょう。
こんなに好きなのに…最後は事務的な別れ
私はつてをたどって、その道のプロに相談しました。
「あなた自身はどうしたいのか?」
「離婚したくないと主張してやり合うのか」
「浮気調査など、離婚に向けて戦う材料集めを始めるのか」
「あっちが具体的に離婚を迫ってくるまでしばらくこのままでいるのか」
まだ彼のことが好きすぎて、もうこのままは辛すぎる。
離婚した方が楽なのかもしれない……と先生に話したら、
「夫婦として暮らしたのは3ヶ月。となると、共通の財産を主張するのは難しい。
あちらが修復の意思がないようなので、慰謝料は……せいぜい50万くらいですね」と答えてくれました。
慰謝料の領収書と引き替えに、離婚届けにサイン。
本当はお金なんていりませんでした。
ただただ、もう一度だけやり直したかった……。
後悔したくなかったので、離婚届けにサインする前に、電話できちんと想いをぶつけてみたのですが、
「○○(私の名前)は、この先も変わらないでいい。そのままで十分魅力的だって言ってくれる人がいるよ」と。
「今まですごく楽しかったし、感謝している。でもこれ以上は……」と。
穏やかな口調で、はっきりと拒絶されました。
もうダメだ。悟った私が、プロに慰謝料のことを言われた通りに話すと、
「自分も弁護士に相談したら、50万くらいが相場だと。
そっちが用意した家具や電化製品はそのまま自分があの家で使いたいから、全部で100万払うつもりだ」と言ってきました。
私は両親の前で彼から100万円を受け取って、離婚届けにサインをしました。
彼が領収書を持って来たのには予想外で……。
きっと弁護士さんから「領収を書いてもらうように」と念押しされたのでしょう。
終わりまで泣きじゃくるのはみっともないと、頑張って冷静を装っていたのですが、相手の名前を書き、金額を入れ、但し書きには「慰謝料として」。
約10年も一緒にいたのに、最後の最後は、後で揉めないためにこんな業務的なやりとりをしなきゃいけないなんて。
情けなくて、やりきれなくて、涙が止まりませんでした。
100万円は、私にとって大金でした。
でも、だからこそ、「お金で縁を切ったんだ。もう戻れないんだ」と自分に言い聞かせることができました。
離婚後も、お酒を飲むと無性に声が聞きたくなって……。
何度も何度も電話しそうになったのですが、「あんたは結局お金を受け取ったんでしょ!」と通帳を見て自分を戒めるようにしました。
信じて疑わなかった彼との未来。
青春だった私の10年間は結婚を機に劇的に変わり、あっという間に終わりました。
バツイチになるまでも精神的には相当キツかったです。
「少しは楽になれるかも」と思ったから離婚を決意したのに、その後もあれやこれやと現実に直面するたびに何かと辛くて……。
次の最終章では、離婚という最強のダメージをくらって私が学んだことを具体的に綴っていこうと思います。
(つづく)
by ミモザ
記事公開日 2017/07/08
最終更新日 2017/07/08